コレクティブハウジングの試み 宮前眞理子 みやまえ・まりこ NPOコレクティブハウジング社 はじめに コレクティブハウスあるいはコレクティブハウジング――この言葉は多くの方にはまだ耳慣れない言葉かもしれないが、行政用語としては多くの都市マスタープランにも記載があり、震災復興の構想などでも多数の街の提案書にかかれている。行政や専門家の中では言葉としては少しは知られているようであるが、日本での実際の姿、暮らしや住まいの運営の仕組みなどについてはほとんど知られていないと思われる。専門家ですらグループホームやシェアハウスと間違えていたり、神戸の震災のときにつくられた高齢者の住まい(ふれあい住宅)と考えているということを多くの方のお話から感じる。しかし、現在東京には四軒の自主管理型のコレクティブハウスがあり、その多世代の暮らし運営はすでに一〇年目を迎えている。この稿が、日本での実際の姿を知っていただく一つの機会になればと期待している。 コレクティブハウジングとは 私が所属しているNPOコレクティブハウジング社(CHC)は、2000年に非営利活動法人としてスタートした。日本で唯一の、居住者の自主運営によるコレクティブハウスを事業化しているNPOである。私たちは北欧のスウェーデンのコレクティブハウスを参考に、「多様な居住者が協力して住まいを自主運営することで家事労働の軽減をしたり、さまざまなことにみんなで取り組むことで緩やかなつながりをつくりながら暮らし、一人でも家族でも、高齢者でも若者でも、子育てや介護、その他さまざまな困難を抱えても、それぞれが自分の可能な力を出し合うことで、共同して生きる場を得る」――そういう、かつては地域社会の集落などにもあった、ごく自然な支え合う人間のコミュティでの暮らしを居住者と事業主とともに創造しようとしてきた。 「『共有/共同』という言葉は翻訳語であり、なかなか日本人の体には入らない。むしろ、昔からあった『入り会い』といった言葉とおもえば理解できるのではないか?」ということを司馬遼太郎が言っている。 コレクティブハウスも「各自の独立した家と共有の場所(コモンスペース)」という空間構成を持ち、そこで暮らす多様な人がコモンスペースを活用しつつ、共同の暮らしの豊かさを生み出していく(図1)。かつての村落の「入会地」などでみんなが役割やルールを持って手入れや収穫をすることで、自然の恵みを分かち合ったり共同体としてのつながりを持ったりするのと変わらない、自分たちで守り育てるコミュニティの暮らしと言えると思う。 戦後の日本は経済成長を推進する世帯の形として夫婦と子どもだけの核家族化を推進した。家族は小さくなった。さらに近年の非婚や離婚の増加や、高齢化、少子化により、今では家族を持たない(あるいは死別などにもよる)一人世帯家や一人親世帯が日増しに増大している。東京の23区では一人世帯が50%になろうとしている。 こうした状況の中で、私たちの暮らしは家族や地域社会でまかなってきたさまざまな助け合い、支え合い、育て合い、コミュニティでの作業などもできなくなり、人口減少もあいまって、コミュニティ自体が崩壊を迎えつつある。また、最近では労働条件の悪化(所得の低下、非正規社員の増加)などにともない、所得格差も拡大し続け、政策や制度では何の支援もうけられない若者の孤立と貧困も大きな社会問題となっている。 餓死、病死などの孤立死、子どもや高齢者への虐待なども頻発しているが、孤立のなによりも恐ろしい側面は、生きようとする力、未来に向かう力、考える力を人から失わせる、ということではないだろうか。 人は孤立しては生きられない生き物である。私たちの社会は、すでに血縁とか地縁とか言っているような状況にはなく、お互い隣り合う人が助け合わなければ、暮らしの助け合いもない、安心して生きることもできないものになりはじめているのである。 コレクティブハウジングの考え方が目指すものは、特殊な人のための特殊な住まいをつくろうという考え方でなく、ごく普通の多様な多世代の人が、血縁や地縁がなくても巡り会い、分かち合い、支え合う暮らしづくりなのある。 家族という枠にとらわれず、他人ともつながりを築くことが、私たちの豊かな暮らしをつくるためには必要になっている。コレクティブハウジング社の歩み コレクティブハウジング社は活動を初めて一四年になり、その間に東京都内に四つのコレクティブハウス(「コレクティブハウスかんかん森」「スガモフラット」「コレクティブハウス聖蹟」「コレクティブハウス大泉学園」)と、群馬県前橋市に群馬県住宅供給公社のコレクティブハウス一つを手がけてきた。それぞれのコレクティブハウスは、居住者は幼児から高齢者まで多様な世代にわたり、住戸もシングル用からファミリー用まで広さも家賃も多様でさまざまな世帯が暮らしている。建物も新築あり、リフォームあり、複合ビルの中のいくつかのフロアであったり単体のアパートであったり、あるいは元社員寮であったりと、さまざまな形態がある(表)。つまり、コレクティブハウスは建物の形ではないのである。 空間は「コモンスペースと住戸の組み合わせ」という基本があればできる。重要なのは、住民が自分たちで運営の仕組みをつくり実際にそれを活用しながら、話し合いのもとに暮らしをつくり続けるという「暮らしの運営の考え方」である。住まい手がお互い対等な関係を持つ参加のシステムつくりである。 写真 スガモフラットでの食事(コモンミール) 写真 地域に開くスガモフラット(みんなの食卓) コレクティブハウス事業の仕組み 中古住宅の市場が低迷し、仕事も世帯の形も激しく流動している今の日本において、長期の住宅ローンの仕組みや、一度持った住宅が一生ものであるかどうかは非常に疑わしい。むしろ、それぞれの状況にあわせて住環境を変更できることが〝価値〞になってきているのではないだろうか。そのような視点から私たちは、コレクティブハウスを「賃貸住宅」として提案してきた。これは、日本で住まいを持つことが人生の一世一代のような大変なことになっていることへの、また持家を資産と考えることへのアンチテーゼでもある。 さらに、コレクティブハウスの供給を「賃貸住宅事業」として考えるならば、事業には「住まい手」「事業主」「専門家」の三者が必要である。この三者の誰を欠いても事業はなりたたない。つまりこの三者は、「より良い住まいづくりと継続的運営」に欠くべからざるメンバーである。ということで私たちは、賃貸コレクティブ事業をこの三者の「パートナーシップ事業」として提案している(図2)。 パートナーシップ事業であるからには、それぞれのメンバーには役割や責任がある。 ●住まい手――設計段階に参加し意見を述べたり、住んでからはみんなで住まい全体を自主管理し運営する役割と責任。 ●事業主 ――良い住まい手のための望まれる住宅を供給する役割と責任。 ●専門家 ――事業主と居住者たちを励まし、安定した事業運営を支援する役割と責任。 私たちコレクティブハウジング社(CHC)も支援の専門家として、事業の一端を担ってきた。CHCが専門家の関わり方として特に重要と考えているのは、専門家が空間設計や事業運営の考え方を押し付けたり、住まい手や事業主をお客として扱い、提供したものに意見を言う機会を失わせてしまうようなことがないようにということである。専門家が出しゃばってはパートナーとしての役割は果たせない。 私たちのコレクティブハウス事業とは、「多様な人々を受け入れる空間」と「運営の仕組み」の二つを車の両輪として、事業に関わる全員が緩やかなネットワークのある暮らしを生み出していく賃貸住宅事業なのである。 タウンコレクティブの試み――若者の貧困は住宅問題である CHCでは三年ほど前より新たな試みとして「タウンコレクティブ」という提案をしている(図3)。 タウンコレクティブとは、今後増え続ける街中の空き家を活用してコモンハウスや住居とし、単身の若者や高齢者のみならず、孤立した子育てや介護を抱える家族をも緩やかにつなぐ場として位置づけ、そこにシェア居住する住まい手と、地域に暮らす参加メンバーとがコモンハウスを共同で運営し、その場を活用しつつ地域コミュニティのネットワークを再構築しようという試みである。 2008年の時点で、全国の空き家は七五七万戸にのぼるという(住宅土地統計調査)。日本の既存住宅数はすでに総世帯数を上回っており、今も新たなマンションが増え続けている都心部でも、古くなったアパートやマンションの空き家が目立ちはじめている。若年人口は減少し、都市郊外の開発された住宅地に若者が住むということはめずらしくなった。地方では高齢化率が50%になるところもあり、都市部でも30%を超える地域がある。人口減少と高齢化で地域活力が低下して商店は閉店、バスの便も減り、買い物難民という言葉すら生まれている。 一方で二〇~三〇歳代の若者の貧困が社会問題になっているが、若者の貧困問題は実は住宅問題であると思う。若者には住まいがないのである。安定した住まいがない限り仕事にも就けないのが日本の社会であるにもかかわらず、である。しかし、今の日本では単身の若者に対する住まいの支援は皆無である。職を失い家を失うことで、貧困からの脱出はほぼ困難なってしまう(私は生活保護よりも、オランダや北欧などヨーロッパの国々で採用されている、年齢に関係なく住宅困窮者を支援する家賃補助制度を制度化するべきと考えている。その方が公的支出も少なく、受給者の立ち直りをより人権を尊重しながら支援でき、その人の人生の可能性は広がると思う)。 孤立した単身者同士が支え合うだけでなく、コミュニティの再生の一員となることで、多様な人とつながり、子育てや介護を支える側にまわることもタウンコレクティブは目指している。 ●事例1 「 松陰コモンズ」 CHCには2002年から八年間、「松陰コモンズ」の借り上げ運営の経験がある。両親が亡くなった後に残された古民家を、家主とは血縁関係にない七人の人がシェアして住み、座敷を地域に開いて活用した。この事例は厳密にはタウンコレクティブというものではなかったが、のちにタウンコレクティブへと発展する前史となり、その後の世田谷区の「地域共生のいえ」支援事業の制度へとつながった。 ●事例2 「菊名ミニコレクティブ」 2010年には、一人暮らしの母親が使っていた二世帯住宅が空き、そこを三人の熟年の住まい手が借りて暮らす「菊名ミニコレクティブ」がスタートした。 新たな住まい手は家主にともなわれ、地域に引っ越しの挨拶につれていってもらった。周辺は高齢化が進み、新しい熟年の住まい手はみなさんに歓迎され、地域の一番若いメンバーとしてさっそく町内会の一員となった。 こうした丁寧な地域への橋渡しは、地域の空き家活用にはとても重要であり、道端での挨拶や町内会での役割分担など、なめらかな接合を生み出すと思う。 ●事例3 「タウンコレクティブ新江古田」 2013年夏には、練馬区豊玉の一戸建てを活用した「タウンコレクティブ新江古田」がはじまった。両親が亡くなり住まい手のいなくなった家を受け継いだ家主も、この家が単なるシェアハウスではなくさまざまな人にも開かれた空間となることに期待を寄せた。コモンハウスには「ecodahouse(エコダハウス)」と名前が付き、四人の住人がシェア居住をし、さらに周辺に住んでいるCHCの居住希望会員が参加メンバーになり、ハウスのコモンルームを使って2013年12月から、まずは「お試しコモンミール(共同の夕食を交代でつくる)」や「定例会」などを定期的にはじめている。これからいろいろなことを実際に行いつつ、地域の中でのタウンコレクティブの仕組みをつくっていきたいと考えている。 * * * 誰も住まない家の持ち主にも、家を借りたい居住希望者にも、地域に暮らしている住民にも、安心して暮らすことのできる地域コミュニティの再生は共通に必要なことだと思う。これは、人口減少社会、高齢化社会を生きる私たち全員に降り掛かる問題である。自分の持っているものを出し合って、孤立しない暮らしづくりをし、住まいのない若者と崩壊する地域コミュニティをともに解決するためには、私たち一人一人の意識改革=自分の問題として考えることが求められていると思う。 多様性の中でこそ人は成熟し助け合える 私たちはコレクティブハウスという仕組みを持った住まいで、多様な人々が話し合いながら自分たちの暮らしをつくっていくことを広げようとしている。もちろんそれぞれの世帯の形は千差万別である。赤ちゃんもいるし高齢者もいる。若者も働き盛りも、障害者もいる。しかしこうしたさまざまな人がともにいることで、暮らしはさまざまな表情を持ち、困ったことも楽しいことも多様性にあふれる。 「これはとても大変なことだろう」と言われることがよくある。しかし、これが本来の人間の暮らしではないか! 相手を気づかいつつ同時に支えてもらいながら人は成長し、生き甲斐や安心があればこそ暮らしは豊かになるのではないだろうか。 低所得者用住宅、シングルマザー用、高齢者用、障害者用など、いろいろな住宅困窮者を支援する住宅がつくられているが、同じような人をまとめてしまうことには違和感を覚える。同じ困難を抱えた人はお互い助け合いができにくく、ましてやその住まいにいる人にレッテルを貼ってしまうことになりかねない。 私たちは一人として同じ人間はいない。社会は多様な人が生きており、さまざまな他者との関係を持つことが自然である。コミュニケーションはお互いが違うからそこからはじまり、主体性は他者とのやり取りの中で考える力とともに成熟する。 みな同じ方向を向き、みな同じように仕事をし、みな同じような人生を送る。そういうわかりやすさ、簡単さを求めることが、自由な未来を見失わせることにつながる。 私たちの多様性を大事にしよう。それが当たり前のことなのであるから。 2014年4月 建築とまちづくりNo.429 戻る |